「ごしゅメモ」

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ごしゅメモ

思わず訪れたくなる長野・全国の御朱印メモ

光前寺の御朱印/長野県駒ヶ根市

伊那七福神めぐり 長野県のお寺 南信(伊那・飯田・諏訪など)

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早太郎と光苔 光前寺

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「光前寺庭園」の名で名勝に指定されている光前寺。左右の木の幹には光苔が生えるそうです。天然記念物の光苔は、暗い場所で見るとエメラルド色に光ってみるのだとか。(私は時期を逃してしまったので、春頃再拝したいと思っています!)

 

 

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創建は840年ですが、この本堂は1851年に再建されたもの。屋根の造りが細かく、

 

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県内にいくつかある三重塔ですが、南信州では光前寺にのみ建立されています。細かい彫刻が美しいので、是非すみずみまで見てくださいね!現在の三重塔は1808年に再建されたもので、高さは約17メートルあります。 

 

 

 

霊犬 早太郎伝説

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光前寺にまつわる面白い伝説がここにも。三重塔の手前には御朱印にもなっている(祀られている)霊犬早太郎の墓があります。

 

霊犬早太郎伝説、聞いたことのある方もそうでない方もいらっしゃるかと思います。地域によっては疾風太郎や疾平太郎などともよばれていますが、信州の民話では「早太郎」として描かれています。詳しい民話は公式HPより抜粋させていただきましたので下をお読みください。

 

今よりおよそ700年程も昔、光前寺に早太郎というたいへん強い山犬が飼われておりました。 その頃、遠州府中(静岡県磐田市)見付天神社では田畑が荒らされないようにと、毎年祭りの日に白羽の矢の立てられた家の娘を、生け贄として神様に捧げる人身御供という悲しい習わしがありました。 ある年、村を通りかかった旅の僧である一実坊弁存(いちじつぼうべんぞん)は、神様がそんな悪いことをするはずがないと、その正体をみとどけることにしました。祭りの夜にようすをうかがっていると、大きな怪物が現れ『今宵、この場に居るまいな。早太郎は居るまいな。信州信濃の早太郎。早太郎には知られるな』などと言いながら、娘をさらっていきました。 弁存はすぐさま信州へ向かい、ようやく光前寺の早太郎をさがし当てると、早太郎をかり受けるて急ぎ見付村へと帰りました。 次の祭りの日には、早太郎が娘の代わりとなって怪物と戦い、それまで村人を苦しめていた怪物(老ヒヒ)を退治しました。 早太郎は化け物との戦いで傷を負いましたが、光前寺までなんとか帰り着くと、和尚さんに怪物退治を知らせるかのように一声高く吠えて息をひきとってしまいました。 現在、光前寺の本堂の横に、早太郎のお墓がまつられています。 また、早太郎をかり受けた弁存は、早太郎の供養にと《大般若経》を写経し光前寺へと奉納いたしました。この経本は現在でも、光前寺の宝として大切に残されています。

光前寺公式HPより引用)

 

静岡県蒲田市の見付天神 矢奈比賣(やなひめ)神社では「霊犬 悉平太郎伝説」として語り継がれています。

 

ごしゅメモ

光前寺(こうぜんじ)

ご本尊:不動明王

山号:宝積山

宗派:天台宗

札所など:伊那七福神(弁財天)

ご由緒:

開基本聖上人は、比叡山にて研学修行の後、太田切黒川の瀑の中より不動明王の尊像を授かり、この地に寺を開かれました。以来千百余年の長い歳月の間には幾多の火災等により古記録を焼失しました。古くは武田・羽柴家等の武将の保護を受け、特に徳川家からは地方寺院としては破格の六十石の寺領と十万石の大名格を与えられるなど、隆盛をきわめました。  明治以降は、多くの末寺等も廃寺となりましたが、今なお樹齢数百年の杉の巨木に囲まれた境内には、十余棟の堂塔を備え、長野県下屈指の大寺であり、南信州随一の祈願霊場として広い信仰をあつめています。

光前寺 公式ウェブサイトより引用)

 

御朱印

ご本尊

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霊犬早太郎

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弁財天(伊那七福神

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アクセスなど

長野県駒ヶ根市赤穂29

0265-83-2736

 

 

 

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