「ごしゅメモ」

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ごしゅメモ

思わず訪れたくなる長野・全国の御朱印メモ

深志神社の御朱印&御朱印帳/長野県松本市

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諏訪信仰から地域の産土神

深志神社は林城や深志城の城下町に鎮座し、建御名方富命(タケミナカタトミノミコト)と菅原道真公の二神を奉っています。諏訪明神は、1339年に信濃国守護である小笠原氏が霊夢を受けてのちに「宮村大明神」と称される社殿を造営したのがはじまりです。そののち1841年に正式名称を「深志神社」と改め、お城や城下町の鎮護の神として歴代城主より篤く敬われました。最近では平成14年に本殿と拝殿が全面改修されるなど、ますます多くの方々に愛される深志神社です。

 

学問の神 菅原道真公を祀る

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深志神社は地元の方々に「学問の神様」としても親しまれています。

境内マップ

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(画像はパンフレットより)

ごしゅメモ

ご祭神 菅原道真公、建御名方富命(タケミナカタトミノミコト)
社格など 県社、別表神社
所在地 長野県松本市深志三丁目7番43号
電話番号 0263-32-1214
駐車場 あり
拝観料 なし
公式ページ

信州松本 天神 深志神社

ご由緒

宮村宮と天満宮の創祀は、信濃国守護・国司であった小笠原氏の信仰と深く関わります。 社伝によると、宮村宮(宮村大明神)が信濃国府中の井川城に居館した小笠原貞宗公により、その丑寅(北東)にあたる、長沢川の北端、捧荘庄内郷宮村の地に、諏訪明神霊夢を受けて南面に社殿が造営され、祀られたのは南北朝時代初め暦応2年(1339)9月9日でした。

その後、永正元年(1504)小笠原氏は、深志城(のちの松本城)を築いて移るに及んで産土神と崇敬し、社殿を西面に直し、城の巽(南西)の鎮護神とされました。 一方、天満宮は、小笠原貞基公が応永9年(1402)、居館である井川館近くの鎌田の地に京都・北野天満宮より勧請されていましたが、のち江戸時代の慶長19年(1614)6月25日(菅公の御誕生日)、後裔である小笠原秀政公が、宮村明神の北側にさらに勧請され、並び祀られました。 IMG_0311 そののち、両宮は「宮村両社・宮村大明神・宮村神社・宮村天満宮・深志天神」などと称され、お城と城下町の鎮護の神社として歴代城主により篤く敬われました。そして正式な社名を、天保12年(1841)に京都・神祇道管領長上吉田家の認可を受け、「深志神社」と定めました。

深志神社公式HPより引用) 

御朱印

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深志神社(松本市

深志神社

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購入場所:深志神社 社務所

サイズ:12cm×18cm

形式:蛇腹式

値段:1,000円

 

マップ 

信濃国十四社めぐり

四柱神社信濃国十四社めぐりの一社です。詳細は下記事をご参照ください!

goshumemo.hatenablog.com

 

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